2006年04月14日
大阪市会 平成16年第1回臨時会−大阪市非核・無防備平和都市条例のァ定についてで、ブログなどで掲載されているこの市会での答弁は以下のような物です。質問者は自民党市議、答弁者は市の総務課長だったそうです。

 Q「無防備地域とはどういう地域か」
 A「占領のために開放された地域です」

 Q「それはどういう地域か」
 A「いわば無血開城、無抵抗の地域」

 Q「占領軍が来たときに白旗を掲げて、どうぞ占領してください、ということですね」
 A「おっしゃるとおりです」

 ここで議場には失笑が漏れた。質疑は続く。

 Q「宣言主体はどこか」
 A「外務省の見解では国。防衛に権限を持つものしかできない」

 Q「平時に宣言をあげて、誰に通告するのか」
 A「わかりません」(再び失笑)


幸いにして、この決議は否決されたそうですが、この討議は非常に低レベルで、大阪市の総務課長の答弁もまったく要領を得ておりません。この当然に適した人間であったのかどうか。それから、何故答弁が大阪市の総務課長が行ったか、前後の関係がないのでよく理解出来ないところです。

過去、この無防備都市宣言というのは第2次大戦中に行使されたことがあります。

大阪市会 平成16年第1回臨時会−大阪市非核・無防備平和都市条例の制定についてで、ブログなどで掲載されているこの市会での答弁は以下のような物です。質問者は自民党市議、答弁者は市の総務課長だったそうです。

 Q「無防備地域とはどういう地域か」
 A「占領のために開放された地域です」

 Q「それはどういう地域か」
 A「いわば無血開城、無抵抗の地域」

 Q「占領軍が来たときに白旗を掲げて、どうぞ占領してください、ということですね」
 A「おっしゃるとおりです」

 ここで議場には失笑が漏れた。質疑は続く。

 Q「宣言主体はどこか」
 A「外務省の見解では国。防衛に権限を持つものしかできない」

 Q「平時に宣言をあげて、誰に通告するのか」
 A「わかりません」(再び失笑)


幸いにして、この決議は否決されたそうですが、この討議は非常に低レベルで、大阪市の総務課長の答弁もまったく要領を得ておりません。この当然に適した人間であったのかどうか。それから、何故答弁が大阪市の総務課長が行ったか、前後の関係がないのでよく理解出来ないところです。

過去、この無防備都市宣言というのは第2次大戦中に行使されたことがあります。

1941年12月8日、真珠湾奇襲成功の知らせを受けた第11航空艦隊の陸攻・零戦の大編隊はフィリピンのアメリカ空軍基地クラークフィールドとイバの両飛行場を奇襲、地上に待機中のアメリカ機100機を撃破し、フィリピンにおけるアメリカ空軍勢力を失わせました。第14軍司令官本間雅晴中将の指揮する主力部隊は76隻の輸送船団を組み、高橋伊望中将の指揮する第3艦隊に護衛され、南方海域を南下しました。第14軍主力部隊は二手に分かれ、12月22日リンガエン湾、12月24日ラモン湾に上陸、南と北から一路マニラ市に向って進撃を開始しました。怒涛のような日本軍の進撃の前には、アメリカ・フィリピン軍はその敵ではありませんでした。

日本軍の進撃は南北よりマニラに迫り、もはや誰の目にもマニラ陥落は時間の問題と思われました。アメリカ・フィリピン軍司令官ダグラス・マッカーサー大将は今や重大な戦略決定に迫られました。

そこで、

1941年12月25日、マッカーサー大将はマニラを無防備都市と宣言し、アメリカ軍はコレヒドールに移りました。そして、マッカーサー大将は「1月1日午前6時を期してカルンピット橋を爆破する。全軍はそれまでに必ず撤退を終了するよう」と命令した。そしてマニラ市にあるアメリカ軍の施設は全て焼き払われました。「オープンシティ」つまり「無防備都市」であることを表わす布が張られ、その脇を兵士や武器弾薬を満載したトラックが慌しく通過して行きました。


つまり、戦術的な決定で、マニラ市への攻撃による無差別な市及び市民の損耗を防ぐために、軍人であるマッカーサーが無防備都市を宣言して、マニラ市を無血開城し、日本軍の占領に任せたということです。しかしながら、アメリカ軍は、単にマニラ市での日本軍との戦闘を回避したにすぎません。アメリカ軍自体は、損害もなくコレヒドールに撤退しました。時期を見て、アメリカ軍が再度マニラ市に進駐するのはあきらかでした。

これはフィリピン、マニラ市で起こったことです。同様なことがフランス、パリ市でも起こりました。

1939年9月にドイツ軍がポーランドに攻め込んだ際にフランス軍の師団100個以上に対し、フランス国境に展開するドイツ軍はわずか23個師団でした。また、ベルギーはこの時点では「厳正中立」を唱えていて、「英仏軍がベルギーに援軍に入ってドイツ軍を迎え撃つ」といっても、肝心のベルギーの地理(要塞や陣地)の様子が良く分からなかったのです。それに、この時点ではドイツとソ連が「独ソ不可侵条約」を結んでいたことから、独ソ両国は同盟関係にあると考えられていて、遠征軍を送って先にソ連の方を叩く作戦が真剣に討議されていたのでした。

1940年5月9日、ドイツ軍がオランダ・ベルギーに侵入。これを受けたフランス・イギリス軍も当初の作戦通りベルギーに入りました。ところがドイツ軍の狙いは別にありました。ベルギーに侵入したドイツ軍はあくまで囮であって、主力はベルギーとマジノ線の中間、アルデンヌの大森林地帯を抜けてフランス国内へと雪崩れ込んできたのです。フランス側は、この森林地帯での大規模な部隊の展開は不可能であると考え、適切な防御措置を施していなかったのでした。

5月28日、増強されたフランス第4機甲師団は今度はアベヴィルのドイツ軍を攻撃しました。この3日前、49歳のド・ゴールは臨時に准将の位を与えられ、「フランスで最も若い将軍」と呼ばれるようになっていました。この戦役の時点では極めて強力な武装を誇ったB型戦車を押し立ててのフランス軍の猛攻は一時はドイツ軍を押し返しましたが、空からの援護を受けられないまま決定的な勝利は取り逃がしてしまったのです。

ところが、他の戦線では、既に5月28日にベルギーが降伏、6月4日には、北フランスの一角に孤立していた英仏軍の一部が、ダンケルクの海岸からイギリスへと撤退し、決定的な敗北となりました。。

パリのフランス政府はまだ降伏した訳ではないとはいえ、もうフランス国内で戦うのは無理である、フランス中部で戦いが続いている今のうちに、少しでも多くの戦争資材を北アフリカの植民地に輸送し、その地で戦争を継続すべきであると考えていました。

すでに諦め顔で「もうおしまい」と語る国防大臣ウェイガン将軍に対し、「なんですって? おしまいですって? では世界は? 植民地は?(ド・ゴール大戦回顧録)」こう答えたド・ゴールは自らロンドンに飛び、英首相チャーチルに会見を申し込んだ。イギリス空軍が引き続きフランス上空で戦い、北アフリカへの輸送を援護してくれるよう頼むためでした。しかしこの依頼はフランスよりも自国の防衛が大事なチャーチルに断られ、幾らかの地上軍増派という約束を得たのみでパリに引き返さざるを得なかったのです。

1940年6月10日、フランス政府がパリからボルドーに移転しました。同日にはイタリアがフランスに宣戦布告しました。パリは「無防備都市」たることを宣言しました。1907年のハーグ陸戦条約により、無防備都市への攻撃が禁止されていたからです。ドイツ軍はすでにセーヌ河畔に達しており、フランスの滅亡は刻一刻と迫りつつあったのです。


そして、ロッセッリーニの映画『無防備都市 』で有名なローマ。

1943年7月19日、ローマ上空に現れたアメリカ陸軍航空軍の爆撃機は、市内にあるサンロレンツォ駅とその操車場、リットリオ鉄道操車場を爆撃目標としていた。連合軍はこの攻撃によってイタリア国内に駐留するナチス・ドイツ軍への物資補給路を断つことを狙っていました。

同時に、首都ローマを爆撃することによってイタリア国民に広がっていた厭戦気分にとどめを刺し、あわよくばムッソリーニ政権の崩壊を導くかもしれないという心理的効果も期待していました。

空襲されればされるほど逆に戦意が高揚する国もあれば、他方、敢え無く戦意喪失に陥る国もあります。さしずめ、前者は日本、後者はイタリアと言ったところでしょうか。この辺は国民性の違いと言えるかもしれません。

連合軍の思惑通りに行けば、ローマ爆撃は歴史に残る英断となるが、一歩間違えれば、この作戦は連合軍にとって不利に働く危険な賭けと言う側面を持っていた。それは、イタリアが持つある特殊事情が深く絡んでいたのです。

ローマは「永遠の都」とも呼ばれるように様々な歴史的、宗教的建造物が集中する都市です。また、ローマ市内には世界一小さい独立国である「バチカン市国」がまるで飛び地のように位置しています。連合軍首脳部が最も頭を悩ませたある特殊事情とはこの「バチカン市国」の存在に他ならなりませんでした。

全世界のカトリック信徒の頂点に立つローマ法王の居所である「バチカン市国」は聖域として神聖視されていました。万が一この聖域を犯すことがあれば、如何に錦の御旗を持つ連合軍といえども全世界から囂々たる非難を受けることは間違いありませんでしたし、ナチス・ドイツはこの機をとらえて格好の宣伝材料として連合軍の蛮行を言い立てるでしょう。

作戦実行に先立って、米英合同参謀本部は、ローマ爆撃に参加するすべてのパイロットにローマの地理を徹底的に頭に叩き込むように命令しました。問題の「バチカン市国」は絶対爆撃禁止とし、とりわけラテラノ聖ジョバンニ、聖パオロ、聖マリア・マッジョーレの各教会の詳しい位置を地図に記載し全員に周知させました。

ルーズベルト大統領は、ローマ法王に対して『連合軍は「バチカン市国」の中立をあくまでも尊重し、戦争遂行において可能な限りバチカン関連の宗教施設の安全に配慮する』と伝えました。加えて、米英合同参謀本部は、ローマ市内の爆撃目標の軍事的重要性をことさら強調し、万が一最悪の事態が起きた場合の非難の矛先を少しでも回避しようと画策しました。

ひと通りの予防線を張り終えた連合軍は、1943年7月19日午前11時よりB17によるローマ爆撃を開始しました。

ローマ市上空は快晴。爆撃目標の鉄道施設と「バチカン市国」を識別するには格好の気象条件でした。B17が投下した爆弾はほぼ予定通りの戦果をあげましたが、如何に精密爆撃といえども限界がありました。アメリカ陸軍航空軍は暗黙のうちに承知していたことでしたが、目標近くの住人に犠牲者が出ただけでなく、目標から約1000フィート離れた聖ロレンツォ大聖堂の一部が破壊されました。

この空襲によってイタリアの戦争継続意志は薄らぎ、これ以上の首都破壊を免れるためにイタリア政府はローマを無防備都市にすることを連合軍に提案しました。これを受けて第二回ローマ空襲は一時延期されることになりました。しかし、連合軍はイタリアの提案に疑念を抱いていました。

当時ローマにはナチス・ドイツ軍が駐留しており、空襲を延期することでナチス・ドイツ軍に態勢を立て直す時間的余裕を与えはしないかと連合軍は危惧した。結局、これ以上無用の混乱を引き起こすのは得策ではないと判断したナチス・ドイツ軍はローマから撤退していった。

9月8日、イタリアは降伏しました。本来ならば、これでイタリアに対する攻撃は停止されるべきところです。しかし、連合軍対ナチス・ドイツの戦闘は未だ継続中であったため、イタリア各地に潜んでいるナチス・ドイツ軍に対する攻撃は停止されることはありませんでした。


これら無防備都市宣言をした3都市の内、都市を侵略する国家は、前2者は悪玉(?)大日本帝国とナチス・ドイツであり、後者は善玉(?)連合国です。しかし、侵略する側が悪玉だろうと善玉だろうと、戦闘に巻き込まれるか否か、都市及び都市住民が被害に遭うという結果は同じです。

さらに、無防備都市宣言を下す決断に至った動機は、戦闘を継続するための戦術的な退却と、厭戦気分、文化財都市の保護という名目でしたが、それで無防備都市宣言をした都市が独立を保てたとか、侵略者がまったく手をつけなかったとか、以降の戦闘の継続から治外法権であったなどという事実はありませんでした。

posted by FRANK LLOYD at 00:00 | 香港 | Comment(0) | TrackBack(4) | 役に立たない政経話
 



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